2015年08月03日

日本寄せ場学会年報『寄せ場』第27号を発行しました

日本寄せ場学会年報『寄せ場』第27号(2015年7月25日発行)

前号から1年半ほど間が空きましたが、第27号が発行されました。

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目次
巻頭言「横糸と縦糸からこぼれ落ちるもの」濱村 篤
フォト[撮られたら撮り返せ・釜ヶ崎の監視カメラ」水野阿修羅・綱島洋之

[特集1]社会的排除 と抵抗のかたち
「共同の空間とコミュニケーション 『ひきこもり』『ニート』の周辺から」渡邊 太
「ローカルな労働運動の『たたかいかた』 個人加盟のユニオン運動を事例に」文 貞實
「東京オリンピックと都営霞が丘アパート」稲葉奈々子

[特集2]戦後の下層労働者
「戦後の下層労働民の系譜 資本主義の獰猛化が下層民を増幅してきた」ディスカッション・鎌田慧さんを囲んで
「首都圏の寄せ場 歴史的変遷の概要」松沢哲成
「『決起四〇年記念』船本洲治 釜共闘・現闘委時代の実践と思想」風間竜次

[時論]
「〈自由・平等・友愛〉の理念を葬り去ったフランスと反ジプシー主義がよみがえる欧米諸国」金子マーティン

[現場から]
「渋谷の路上から空間を問う」室田大樹
「山谷のたたかいは続いている」向井宏一郎
「映画『月夜釜合戦』を撮り終えて 監督と演者に釜ヶ崎を撮るとは、どういうことかを聞く」

[ヨセバ・クリティーク]
「〈2011・3・14〉は決定的な亀裂と深淵を生んだ! 小倉志郎『元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ』、鈴木智彦『ヤクザと原発』、山田真『水俣から福島へ─公害の経験を共有する』を読む」松沢哲成
「自衛隊が国外で参戦するまで日本の大衆は右派政権に従順でありつづけるのだろうか 八木晃介『右傾化する民意と情報操作』を読む」金子マーティン
「当事者が自ら社会問題を問う試み 『フリーターズフリー』一~三号を読む」妻木進吾
「去りゆく相手に ジャ、デヴレッサ(神のご加護を) ロナルド・リー著/金子マーティン訳
 『ロマ 生きている炎─少数民族の暮らしと言語』を読む」濱村 篤

[自著自注]
「寄せ場学にとって ジェントリフィケーション概念はなにを意味するのか ニール・スミス著『ジェントリフィケーションと報復都市』訳者による解説」原口 剛
長井公彦さんを悼む
学会日録

[復刻資料]
「寄せ場の歴史から未来を見通す」(寄せ場労働運動のリーダー、山岡強一、風間竜次、宗村義隆による連続講演・1984年12月7日「三多摩・山谷(ヤマ)の会」発行)

ISBN:978-4-8462-0416-7
本体価格2800円+税
書店で在庫切れの際は事務局(yosebagakkai@yahoo.co.jp)までお問い合わせください(学会に在庫がある場合もあります)。
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2015年05月02日

2015年日本寄せ場学会総会

2015年 日本寄せ場学会総会
寄せ場はなくならない
―ジェントリフィケーションへの抵抗―

2015年5月30日(土) 13:30-18:20
日本女子大学西生田キャンパス
九十年館B棟22番教室

(会員以外の方でも参加できます。参加費無料・事前申し込み不要ですので、会場に直接お越しください)

〈プログラム〉
13:30 - 14:00 総会(会議)
14:00 - 18:20 総会(シンポジウム)
■司会より趣旨説明
■水野阿修羅(釜ケ崎労働者)
 「なぜ、釜ヶ崎はなくならなかったのか」
■松沢哲成(現代史研究)
 「首都圏の寄せ場――歴史的変遷の概要」
■室田大樹(のじれん〈渋谷・野宿者の生存と生活をかちとる自由連合〉)
 「渋谷の路上から空間を問う」
■綱島洋之(大阪市立大学)
 「「西成特区構想」に参加型開発の理念は生かされているか」
〈休憩〉
■コメント 渋谷望(日本女子大学)・原口剛(神戸大学)
■討議

* * *

総会基調 西澤晃彦(神戸大学)

寄せ場はなくならない――ジェントリフィケーションへの抵抗

  非正規労働者の増大と貧困化の深まりは、かつての下層労働者と連続的な質をもつ流動的な人口をいっそう蓄積しつつある。いまや「寄せ場的な」労働力の管理 と支配の様式は社会の全域におよび、それを総寄せ場化と形容することも可能なほどだ。しかしながら、この総寄せ場化は、かつての寄せ場のような下層労働者 の接触空間を欠いたまま、否、それを奪われつつ、進行している。今日の下層労働者は、分散され孤立させられつつ「統計的に」存在させられているのである。 空間と関係の奪い返しというテーマは、排除された人々の運動と研究において、いっそう大きくせり上がってきている。
  今回の総会シンポジウムにおいては、この秋から本格始動する西成特区構想をにらみつつ、これまでもせまく隔離され、隠蔽され、さらにはそれを消し去ろうと する力にさらされてきた寄せ場空間の歴史と現状を、「ジェントリフィケーションへの抵抗」の多様なあり方に着目しつつ、描きなおしてみたいと思う。
「都市再生」の名のもとになされる空間改造――ジェントリフィケーション――を通じて、消費社会において「負」とされる価値や意味の一掃が企てられ、住民は散らばってしまうかそうでなくても共同性を破壊される。保存されていた文化や記憶は、忘却されるか隠される。総寄せ場化の過程も、排除された人々に「居場 所」を与えないジェントリフィケーションを伴いつつ進められている。釜ヶ崎や山谷では、これまでも寄せ場を縮小・消去しようとする動きはあった。「ビジネスホテル化」を経て「福祉の街」や「バックパッカーの町」へと空間の意味を改変する流れがそうである。また、すでに寄せ場であることをやめて、かろうじて 過去の痕跡を残すに留まる場所もある。野宿者の空間も、暴力的な強制排除とジェントリフィケーションによって削ぎ落とされ、その存在を不可視にする力に晒 されてきた。そして、その一方で、飯場を用いた下層労働者の動員体制はむしろ強化されているというべきであるし、「携帯電話つき」の孤立した労働者を前提としたリクルートのシステムも構築されているのである。
それら全体の構図を踏まえつつ、「寄せ場のジェントリフィケーション」の過程を分析し、ジェントリフィケーションの背後にある構造変動とその論理を炙り出す 糸口を得たい。それを通じて、「西成特区構想」「東京オリンピック」を貫く、寄せ場労働者・野宿者の存在を否認するイデオロギーを明るみに出したい。それ でも、同時に、寄せ場は、容易にジェントリフィケーションを受け付けない場所であり続けている。そこに作動している多様な抵抗、拒絶の様相をも捉え、「生き残る寄せ場」や「新しい寄せ場」の可能性についても議論したいと思う。
  水野阿修羅報告では、釜ヶ崎を消そうとするこれまでの企てと今日的な動向について報告されるとともに、釜ヶ崎が釜ヶ崎であり続ける、寄せ場であり続ける可能性について議論される。松沢哲成報告においては、東京における戦後の寄せ場の変容を、労働力を集中させ動員する寄せ場機能の集中・分散、移転の過程として捉えつつ、むしろそうした機能が拡張されつつあることについて述べられる。室田大樹による報告では、渋谷・宮下公園のナイキ化計画をめぐる攻防について 取り上げられ、ジェントリフィケーションのもつ「敵意」が論じられる。綱島洋之報告では、西成特区構想の現状と今日的な若年貧困層の増大・蓄積を踏まえつつ、若年貧困層にとっての寄せ場、そして釜ヶ崎について展望がなされる。

★会場へのアクセス
日本女子大学 西生田キャンパス(目白キャンパスではありませんのでご注意ください)
九十年館B棟22番教室

(神奈川県川崎市多摩区西生田1-1-1)
(スクールバス内あるいは入口にて入構手続きを行ってください)

■交通アクセス
小田急線「向ヶ丘遊園」駅北口よりスクールバス「日本女子大学行」で15分(学外者は乗車後に車内で記名のうえ入構証を受け取る)
小田急線「読売ランド前」駅より徒歩15分

(参考1)名古屋・大阪方面から向ヶ丘遊園駅まで(乗り換え時間含まず〕
新横浜駅 ―〔JR横浜線で約20分〕― 町田駅 ―〔小田急線で約15分〕― 向ヶ丘遊園駅
東京駅 ―〔JR中央線で約20分〕― 新宿駅 ―〔小田急線急行で約20分〕― 向ヶ丘遊園駅

(参考2)向ヶ丘遊園駅北口発スクールバスの時刻表(土曜)
11:15,11:40,12:00,12:15,12:45,13:00,13:15,13:40,14:00,14:30
ラベル:学会総会
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2014年05月01日

2014年日本寄せ場学会総会

2014年日本寄せ場学会総会
社会的排除と抵抗のかたち

(どなたでも参加できます。事前申し込み不要ですので、会場に直接お越しください)
日時:2014年5月31日(土)13:00 - 18:00
開催場所:龍谷大学深草キャンパス 21号館101号教室
終了しました

〈プログラム〉
■司会から趣旨説明など
■橋口昌治(立命館大学生存学研究センター専門研究員)
 社会的排除と個人加盟ユニオン─労働/就労とどう向き合うか
■文貞實(東洋大学社会学部教授)
 ローカルな労働運動の「たたかいかた」-個人的な経験からユニオン運動へ-
■渡邊太(大阪国際大学講師)
 場所の運動-カフェの実験から考える-
■稲葉奈々子(茨城大学人文学部教員)
 社会的排除と抵抗の<技法>
■コメント・討論
* * *

■総会基調 稲葉奈々子(茨城大学人文学部教員)
社会的排除と抵抗のかたち
人間を使い捨てにする労働のメカニズムを歴史的、社会的に解明することは、寄せ場学会が創立以来取り組んで来た問題のひとつである。そこで働く者の抵抗のあり方は、当該社会の時代によって、さらには政策や労働市場によって異なる形をとってきた。それでは今日のように新自由主義的な論理が貫徹した社会においては、抵抗はどのような形で立ち現れてくるのか。これが、今年の総会を貫くテーマである。
バブル経済崩壊以降の日本では、派遣労働や外国人の研修生や技能実習生枠の拡大などによって、不安定就労の割合が大きくなっていった。建設の日雇い労働者のように底辺労働に従事する者や、女性、外国人労働者は、もとから不安定就労に就いていたわけだが、それがミドルクラスの正規雇用の男性にも及んできたのが1990年代以降のことである。不安定就労ゆえの貧困問題は、まず西ヨーロッパで顕在化し、「社会的排除」として、たんに経済的意味での貧困ではなく、個人の尊厳や人格までを否定するような新自由主義的な論理によって、自己の存在の「無意味さ」で個人を圧倒するような状態として把握されてきた。
このように「社会的排除」の問題は日本だけではなく、欧米にもみられる。そして社会的排除に抗する社会運動の研究も欧米の層は厚い。そこで日本について翻ってみるならば、研究においても運動の現場においても、さらには政策においても、日本では社会的排除を経験する個人のアイデンティティの問題により焦点があてられている。社会的排除は、不安定就労ゆえの困窮によって、社会との絆を断ち切られた個人の状況を把握するための概念である。したがって、その個人がふたたび社会との絆を結び直していく過程に関心が注がれるのは不思議ではない。それにしても、欧米の研究では、社会的排除に抗する社会運動が、当事者によって担われるまでの過程については、ほとんど論じられていない。雇用や社会保障の改善といった直接的な成果を獲得する過程が議論の中心である。
著者はフランスの失業者の社会運動を調査してきたが、決してフランスの失業者がはじめから主体的な行為者だったわけではない。フランスにおいても運動の担い手になる過程は、自己の尊厳を取り戻す過程でもあった。しかし、運動の現場や研究でこの点を重視するものは皆無といってよい。ところが日本では、社会運動にとっては間接的な成果である、個人の尊厳の回復の過程が重要な課題となっている。この差を生み出すものは何なのか。東京のある労働組合の活動家は、かつては労働者の「良質な部分」が運動の担い手であったが、リーマンショック以降、労働によって「壊されてしまった」労働者が増えてきたと語っていた。日本においては、個人が労働によってボロボロにされる度合いが、欧米とは比較にならないほど大きいのではないか。
この問いの答えは、実際の現場でどのような抵抗が立ち現れているかによって知ることができるのではないか。これが総会のテーマを構想した経緯である。


■橋口昌治(立命館大学生存学研究センター専門研究員)
 社会的排除と個人加盟ユニオン─労働/就労とどう向き合うか
社会的排除は、経済的な豊かさを実現した社会においても残る貧困を発見するために考え出された概念であり、貧困からの脱却を労働市場への参入のみに限定しないという特徴があった。しかし具体的な対策が整備されていく過程で、労働市場への参入が重要な基準として考えられるようになった。2000年以降、経済的格差や貧困が社会問題となるなか、「社会的排除/包摂」概念が日本においても普及していったが、日本はヨーロッパよりも生活保障制度が脆弱かつ就労への圧力が強く、社会的排除概念の抱える矛盾はより強く現れると考えられる。本報告は、このような矛盾を、個人加盟ユニオンの実践に関する観察を通じて論じたい。

■文貞實(東洋大学社会学部教授)
 ローカルな労働運動の「たたかいかた」-個人的な経験からユニオン運動へ-
本報告では、「普通の人々はどのようなときに、自らの権利を主張するために身命を賭して、街頭へと繰り出すのだろうか」(Tarrow,Sidney G=大畑裕嗣『社会運動の力』2006:131)という社会運動に関する最初の問いに対して、ローカルな労働運動の「現場」から答え探したいと思う。具体的には、90年代不況以降、日本の労働市場の二極化が進むなかで、従来、雇用問題は社会的に不利な状況に置かれている人々に押し付けられた「個人的な問題」としてとらえてきた。しかし近年、この「個人的な問題(失業、女性労働、移住労働、労災、ハラスメントなど)」をきっかけにローカルなユニオン運動にかかわっていく人々が少なくない。さらに、ユニオン運動に参加し、ユニオンの「たたかいかた」を身につけることで、ユニオンを単なるとどまる場所(居場所)から、社会につながる場所へ、生存の拠点へ、また新たな運動の通過点にしている。本報告では、ローカルな労働運動の「たたかいかた」の事例をとおして今日のローカルなユニオン運動の社会運動としての展開について検討するものである。

■渡邊太(大阪国際大学講師)
 場所の運動-カフェの実験から考える-
 2005年春から2006年暮れまで、大阪駅・旧国鉄貨物場跡ちかくで自宅カフェを運営していた。その後、公園での青空喫茶や河川敷での野外音楽祭を試みた。2009年から大阪・高槻市のカフェコモンズで「コモンズ大学」と称して毎週金曜日にビールを飲みながら雑談する集まりをつづけている。いずれもごく小さな集まりであり、劇的なことや画期的なことは何もなく、成りゆきでいまに至っている。
 その成りゆきのなかで、ひとが集まる場所に対する関心が強くなった。すでに1980年代に粉川哲夫は「イデオロギーからスペースへ」という標語でアウトノミア以降の運動を特徴づけている。イデオロギーの一致を要求する党(パーティー)ではなく、ひとびとが集まり飲食を共にするパーティーにもとづく共同性や集団性。具体的な場所でのひととひととのやりとりのうちに、運動の可能性が見出される。
 この報告では、わたしがかかわってきた場所や、ここ数年の間に訪ね歩いた場所について議論したい。

■稲葉奈々子(茨城大学人文学部教員)
 社会的排除と抵抗の〈技法〉

1990年代の西欧で使われるようになった「社会的排除」は、経済的な貧困では説明できない現象を把握するために用いられる概念である。市場経済至上主義の指標で「無用」とみなされた個人を、自己の存在の無意味さで圧倒する。このような尊厳の否定も経験させる社会的排除は新自由主義が生み出した貧困といえる。歴史上、貧困は社会運動を生起させるストレインであった。本報告では社会的排除に対応して生起する社会運動について考察する。新自由主義はすべてを市場の論理で覆い尽くす。言い換えるならば「社会」が「市場」に覆われていくプロセスである。このプロセスに抗する社会運動は、「社会を取り戻す」運動として現れる。欧米ではリクレイム・ザ・ストリーツなど公共空間を取り戻す運動が活性化した。日本では市場経済至上主義によって人格を否定された個人の尊厳回復のプロセスを重視する運動が現れた。これは欧米にはない特徴であり、日本の社会的排除が個人の尊厳を否定する度合いがより強烈なものとして経験されているがゆえと考えられる。本報告では、先行研究をレビューするとともに日本の反貧困運動を事例として、この問題を考察していきたい。

 * * * 


※総会の翌日6月1日(日)に龍谷大学深草キャンパスの3号館101教室で13時より日本寄せ場学会年報『寄せ場』26号(最新号)の合評会が開かれます。同年報に掲載されている次の論文が批評の対象となります。興味・関心のある方はふるってご参加ください
・なすび「除染労働における重層下層構造と搾取の実態」
・山口恵子「現代における流動する若年派遣労働者の労働・生活」
・山口覚「集団就職と韓国人研修生」
・イム・ドクヨン「一九六〇年代の韓国における『浮浪者』に対する政策と社会的まなざし」
・松沢哲成「敗戦前後における日本社会の変容と持続」
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