2014年05月01日

2014年日本寄せ場学会総会

2014年日本寄せ場学会総会
社会的排除と抵抗のかたち

(どなたでも参加できます。事前申し込み不要ですので、会場に直接お越しください)
日時:2014年5月31日(土)13:00 - 18:00
開催場所:龍谷大学深草キャンパス 21号館101号教室
終了しました

〈プログラム〉
■司会から趣旨説明など
■橋口昌治(立命館大学生存学研究センター専門研究員)
 社会的排除と個人加盟ユニオン─労働/就労とどう向き合うか
■文貞實(東洋大学社会学部教授)
 ローカルな労働運動の「たたかいかた」-個人的な経験からユニオン運動へ-
■渡邊太(大阪国際大学講師)
 場所の運動-カフェの実験から考える-
■稲葉奈々子(茨城大学人文学部教員)
 社会的排除と抵抗の<技法>
■コメント・討論
* * *

■総会基調 稲葉奈々子(茨城大学人文学部教員)
社会的排除と抵抗のかたち
人間を使い捨てにする労働のメカニズムを歴史的、社会的に解明することは、寄せ場学会が創立以来取り組んで来た問題のひとつである。そこで働く者の抵抗のあり方は、当該社会の時代によって、さらには政策や労働市場によって異なる形をとってきた。それでは今日のように新自由主義的な論理が貫徹した社会においては、抵抗はどのような形で立ち現れてくるのか。これが、今年の総会を貫くテーマである。
バブル経済崩壊以降の日本では、派遣労働や外国人の研修生や技能実習生枠の拡大などによって、不安定就労の割合が大きくなっていった。建設の日雇い労働者のように底辺労働に従事する者や、女性、外国人労働者は、もとから不安定就労に就いていたわけだが、それがミドルクラスの正規雇用の男性にも及んできたのが1990年代以降のことである。不安定就労ゆえの貧困問題は、まず西ヨーロッパで顕在化し、「社会的排除」として、たんに経済的意味での貧困ではなく、個人の尊厳や人格までを否定するような新自由主義的な論理によって、自己の存在の「無意味さ」で個人を圧倒するような状態として把握されてきた。
このように「社会的排除」の問題は日本だけではなく、欧米にもみられる。そして社会的排除に抗する社会運動の研究も欧米の層は厚い。そこで日本について翻ってみるならば、研究においても運動の現場においても、さらには政策においても、日本では社会的排除を経験する個人のアイデンティティの問題により焦点があてられている。社会的排除は、不安定就労ゆえの困窮によって、社会との絆を断ち切られた個人の状況を把握するための概念である。したがって、その個人がふたたび社会との絆を結び直していく過程に関心が注がれるのは不思議ではない。それにしても、欧米の研究では、社会的排除に抗する社会運動が、当事者によって担われるまでの過程については、ほとんど論じられていない。雇用や社会保障の改善といった直接的な成果を獲得する過程が議論の中心である。
著者はフランスの失業者の社会運動を調査してきたが、決してフランスの失業者がはじめから主体的な行為者だったわけではない。フランスにおいても運動の担い手になる過程は、自己の尊厳を取り戻す過程でもあった。しかし、運動の現場や研究でこの点を重視するものは皆無といってよい。ところが日本では、社会運動にとっては間接的な成果である、個人の尊厳の回復の過程が重要な課題となっている。この差を生み出すものは何なのか。東京のある労働組合の活動家は、かつては労働者の「良質な部分」が運動の担い手であったが、リーマンショック以降、労働によって「壊されてしまった」労働者が増えてきたと語っていた。日本においては、個人が労働によってボロボロにされる度合いが、欧米とは比較にならないほど大きいのではないか。
この問いの答えは、実際の現場でどのような抵抗が立ち現れているかによって知ることができるのではないか。これが総会のテーマを構想した経緯である。


■橋口昌治(立命館大学生存学研究センター専門研究員)
 社会的排除と個人加盟ユニオン─労働/就労とどう向き合うか
社会的排除は、経済的な豊かさを実現した社会においても残る貧困を発見するために考え出された概念であり、貧困からの脱却を労働市場への参入のみに限定しないという特徴があった。しかし具体的な対策が整備されていく過程で、労働市場への参入が重要な基準として考えられるようになった。2000年以降、経済的格差や貧困が社会問題となるなか、「社会的排除/包摂」概念が日本においても普及していったが、日本はヨーロッパよりも生活保障制度が脆弱かつ就労への圧力が強く、社会的排除概念の抱える矛盾はより強く現れると考えられる。本報告は、このような矛盾を、個人加盟ユニオンの実践に関する観察を通じて論じたい。

■文貞實(東洋大学社会学部教授)
 ローカルな労働運動の「たたかいかた」-個人的な経験からユニオン運動へ-
本報告では、「普通の人々はどのようなときに、自らの権利を主張するために身命を賭して、街頭へと繰り出すのだろうか」(Tarrow,Sidney G=大畑裕嗣『社会運動の力』2006:131)という社会運動に関する最初の問いに対して、ローカルな労働運動の「現場」から答え探したいと思う。具体的には、90年代不況以降、日本の労働市場の二極化が進むなかで、従来、雇用問題は社会的に不利な状況に置かれている人々に押し付けられた「個人的な問題」としてとらえてきた。しかし近年、この「個人的な問題(失業、女性労働、移住労働、労災、ハラスメントなど)」をきっかけにローカルなユニオン運動にかかわっていく人々が少なくない。さらに、ユニオン運動に参加し、ユニオンの「たたかいかた」を身につけることで、ユニオンを単なるとどまる場所(居場所)から、社会につながる場所へ、生存の拠点へ、また新たな運動の通過点にしている。本報告では、ローカルな労働運動の「たたかいかた」の事例をとおして今日のローカルなユニオン運動の社会運動としての展開について検討するものである。

■渡邊太(大阪国際大学講師)
 場所の運動-カフェの実験から考える-
 2005年春から2006年暮れまで、大阪駅・旧国鉄貨物場跡ちかくで自宅カフェを運営していた。その後、公園での青空喫茶や河川敷での野外音楽祭を試みた。2009年から大阪・高槻市のカフェコモンズで「コモンズ大学」と称して毎週金曜日にビールを飲みながら雑談する集まりをつづけている。いずれもごく小さな集まりであり、劇的なことや画期的なことは何もなく、成りゆきでいまに至っている。
 その成りゆきのなかで、ひとが集まる場所に対する関心が強くなった。すでに1980年代に粉川哲夫は「イデオロギーからスペースへ」という標語でアウトノミア以降の運動を特徴づけている。イデオロギーの一致を要求する党(パーティー)ではなく、ひとびとが集まり飲食を共にするパーティーにもとづく共同性や集団性。具体的な場所でのひととひととのやりとりのうちに、運動の可能性が見出される。
 この報告では、わたしがかかわってきた場所や、ここ数年の間に訪ね歩いた場所について議論したい。

■稲葉奈々子(茨城大学人文学部教員)
 社会的排除と抵抗の〈技法〉

1990年代の西欧で使われるようになった「社会的排除」は、経済的な貧困では説明できない現象を把握するために用いられる概念である。市場経済至上主義の指標で「無用」とみなされた個人を、自己の存在の無意味さで圧倒する。このような尊厳の否定も経験させる社会的排除は新自由主義が生み出した貧困といえる。歴史上、貧困は社会運動を生起させるストレインであった。本報告では社会的排除に対応して生起する社会運動について考察する。新自由主義はすべてを市場の論理で覆い尽くす。言い換えるならば「社会」が「市場」に覆われていくプロセスである。このプロセスに抗する社会運動は、「社会を取り戻す」運動として現れる。欧米ではリクレイム・ザ・ストリーツなど公共空間を取り戻す運動が活性化した。日本では市場経済至上主義によって人格を否定された個人の尊厳回復のプロセスを重視する運動が現れた。これは欧米にはない特徴であり、日本の社会的排除が個人の尊厳を否定する度合いがより強烈なものとして経験されているがゆえと考えられる。本報告では、先行研究をレビューするとともに日本の反貧困運動を事例として、この問題を考察していきたい。

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※総会の翌日6月1日(日)に龍谷大学深草キャンパスの3号館101教室で13時より日本寄せ場学会年報『寄せ場』26号(最新号)の合評会が開かれます。同年報に掲載されている次の論文が批評の対象となります。興味・関心のある方はふるってご参加ください
・なすび「除染労働における重層下層構造と搾取の実態」
・山口恵子「現代における流動する若年派遣労働者の労働・生活」
・山口覚「集団就職と韓国人研修生」
・イム・ドクヨン「一九六〇年代の韓国における『浮浪者』に対する政策と社会的まなざし」
・松沢哲成「敗戦前後における日本社会の変容と持続」
posted by yosebagakkai at 09:37| Comment(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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